こぎーのおすすめ

こんにちは! こぎー(@koggy358)です。

自分より年配の方、、例えば会社などで上司や先輩(はたまたは後輩)に「最近の若者は~」や「ゆとり世代が~」の様な抽象的な言葉を言われた事はないでしょうか?

言ってる本人はこちらの事を心配してるのか、マウンティングして言う事を聞かせたいのか分かりませんが、善意であろうと悪意であとうと、どちらでも、こちらの気分はなぜかダダ下がり。

モヤモヤして気持ち悪い。

仕事もこれじゃあ、集中できない(それは違う気がするけど)

年配の方も昔は言われていたであろうのに。

それなのに歳を取ると年配の方は偉そうな態度を当たり前にとる人が多くなってきます。

疑問に思いません?

なんで、こんなにあのおっさん(おばはん)は上から目線やねん!って。

なので、、
どのような理由から上から目線になるのかをまとめました。


年配の方が目上な3つの訳

素敵なジェントルメンなおじさまやおばさまも世の中にはたくさんいます。

ですが僕の経験上、年配の方の70%以上は目上な態度をとってきます。

いきなりタメ口で喋ってくる。挨拶できない(無視したり)。気が付けば説教してくる。などなど。。

確かに若者でも出来ない方はいるし、年下がそういう態度をとって来るとイラッとします。

では、年下にされて嫌な事をなぜ平然と年配の人はあたかも常識のように行ってくるのか。

それは「年齢」と「経験」。そして「地位」

この3つの要素から来ます。

100%で僕ら若者に勝てる要素「年齢」

生きてきた時間量は若者には絶対に勝つ事ができないものです。

その事を利用して「年齢が高い方が偉い」という考えを無意識に持っています。

なぜ、そんな意識を持ってしまったのか?それは日本に昔からあるシステム2つが理由です。

思考停止の年功序列システム

会社に定年までずっといれば、とりあえず段々と給料が上がっていく、あの短絡的なシステム。

そう!「年功序列」のシステムがこれでもか!ってほど影響してます。

”歳を取っている = 若者より稼いでる” という図式が、年功序列によって埋め込まれてしまっています

最近は見直しがされてきていますが、評価を指標にしにくい年齢で行ってきた安直な思考停止したシステムです。

先輩は神っす!体育会系

そして、もう一つ原因が「体育会系」の気質。

スポーツライターの相沢光一さん曰く、体育会系のルーツ自体は中国から来ているとのこと。

部外者が見れば、こうしたしきたりは滑稽でしかないが、それが長年通用してきたのは、日本人の気質に合っている部分があるのかもしれない。古くは中国から伝来した儒教の教え。親や長老、身分が上の人には絶対服従という考え方で、それが日本の組織の秩序維持のスタンダードになった。そうした考え方は武家社会に導入され軍隊に受け継がれ、今は体育会系運動部に生き残っている。これは単に上級生と下級生の上下関係だけでなく、指導者やOBも含めた厳密なタテ社会が存在する。

 もちろんそこには良い面もある。礼儀正しい、しっかり挨拶ができる、下積みの苦境を耐える、命令に従う、文句を言わず雑用をこなすといったことで、それが結果的に全体の秩序を守ることにもなった。勝利のために一致団結するということにもつながり、運動部には好都合の価値観だったともいえる。

戦後の高度成長期の日本の企業が成長できたのは都合がいい従順な社員が必要だったのです。
(高度成長期が今の社会をつくっているのですが、副作用も強かったと僕は考えています。)

数年前にお世話になっていた、美容院の息子さん(当時中学生のチャラめの不良)に、僕が会社の癖で無意識に敬語で喋ったら驚いてました。
多分、先輩には敬語なんだろうなーと思うのですが、もうすでに中学生の時点で一つでも年上の人には敬語を使うという現実。

ちなみに、小さい子は?って疑問に思うかもしれませんが、敬語を使わないのは、敬語が子どもには難しいからです。
子どももあまり敬語を使ってきませんよね?僕らは無意識に同じレベルになれる様に喋っているのです。

歳が高ければ豊富と勘違い「経験」

そして、なにかと引き合いにだしてくるのが「経験」。

先ほどの「年齢」が多くなると、その分、様々な事柄をこなして来たという自負があります。

その自負自体はとてもいいことです。

ですが、その自負を間違えた方向で使ってる人が偉そうな態度を取ってきます。

特定のスキルの熟練度だけで慢心

若者に対して今までの「経験」をフルに生かして優位な立場に立とうとする人もいます。

極端に言うと「赤子の手を捻る」を大人気なくしてくるパターンです。

とある作業を1回しかやった事がない人と1000回やった事がある人ではスキルの差が歴然としてあります。

作業の効率も良くて短時間で出来るし、腕も良いです。さらにハプニングにもとっさに対応できます。

その事を押し付けてくる人は一定のスキルにおいては熟練しています。

ですが他のスキルは未成熟だけど棚に上げ、自分が勝つことができる分野をあたかも年の功としてくるのです。

そもそも、人間として熟練度が高ければこのような行動は取る事はありません。

自分のスキルの正当化

年配の方が若かりし頃、、エネルギッシュなときに成功した事を説いて来るパターンです。

そして、原理原則的な「経験」なら役に立つことも多いですが、数十年前はベストとされていたが現在では研究が進み、陳腐化してしまった事を嬉々と語り”こうすべき”と押し付けてくる状態です。

おおかた今、若者が必要なスキルを無視して「経験」を押し付けてきます。

自らが経験した事が正しく、その事を否定されたくないから”こうすべき”となってしまいます。

僕の経験なのですが、職場でパソコンで資料を作成していると定年後の再雇用の年配の方が来て、「昔は手書きで大変で~(略) 最近の若者はパソコンなんか使うから文章がへたくそで~(略)手書きで書いた方が絶対、上達する~(略)」とウダウダ僕の時間だけ消費して満足そうに去っていきました。

実際はパソコンを使っていても文章は上達します。
というか、仕事の文章に関しては情報をいかに簡潔に解りやすく伝えるスキルが必要だと僕は感じています。

ですが、年配の方は昔の苦労を美化して喋っていました。「俺たちは失敗したら一からやり直し。同じものをもう1回、書いてた」と。

そこでもし、「昔は書き損じが時間ロスになるから、予めメモに箇条書きにしたり~・・」など今でも役に立つスキルや、今と昔の違いからどのような理由で変化したか考察を話してくれると僕らも役に立つし尊敬する事が出来るのですが。。

繰り返しますが、年配は生活の中で同じルーティーンを何回もこなして行くうちに慣れ、始めたばかり若者と比べても理解しています。

ですが、人によってまちまちですが一定の理解度まで来て、そのルーティンについては、そこで成長が止まります。

若者が年配より10年早くそのルーティンを習得するかもしれません。

若者が年配よりはるかに理解しルーティンを極めるかもしれません。

技術の進歩もめまぐるしく、昔からある技術も見直しがされて日々新しくなって行くので、その可能性は高くなっています。
フィギュアスケートなどのスポーツを見ているとあからさまですよね。

年配の若かりし頃に比べて、今の方が学習の効率性や情報量が多いです。

現在の若者と年配では学習方法が違うので、潜在的に劣等感があるか、それか自分を曲げる事ができない柔軟でない人が当てはまります。

会社での役職はすごいぞ!「地位」

電車の中で偉そうにふんぞり返って、広いスペースを使ってる年配の方って多いですよね。

他にもファミレスやコンビニでむっちゃ上から目線の年配も多いです。
(上記の年齢が理由の場合も多いですが。)

きっと、会社ではそれなりの地位がある(あった)人です。

年功序列の日本社会では歳を取ると自然と役職に付く場合が多いです。そして、心理的にも役職がついて社内での顔が利くようになります。
それを日常で切り替える事ができずに、そのまま同じ態度をとっている場合です。

心理学者たちによると、権力者の問題のひとつは、他者の状況や感情に対する共感性が低くなることだという。いくつかの研究によれば、権力的な地位にある人は、ほかの人を判断する際に、ステレオタイプ的な判断を行ないやすく、一般化しやすいという。

要は「俺はすごいから(会社で役職あんぞ!)、だからお前は格下な(若者は役職低いだろ?)」って、公私混同を心理的にしてるのです。

その結果、はたから見ると、すごい偉そうな年配が出来上がります。

もちろん、その事を意識できている(理解できている)年配は博学な方が多いです。
勤勉で色々な事を学んできたため、対処できている実力のある人になります。

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こぎーのまとめ

記事を書いていて、年取ったときにこんな風になりたくないなーって思いながら、改めて感じます。

もしかしたら僕も無意識に今の十代の若い子たちにも、こんな態度を取ってるかもしれないと思うとゾッとします。

この記事では自分からみた、”自分より年上”の上から目線について書きましたが、自分より年下の子からみたら自分は年上です。

もし今、自分にも心当たりがあるのなら絶対に直すべきです。

意識をして、小さなことからでも丁寧な行動をする事によって人間は変わっていけます。自分は残念な年配にならないようにしましょう。

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