こんにちは! こぎー(@koggy358)です。
僕はずーーーーと、30歳を超えた最近でも「何のために生きているのだろう?」って感じることがあります。漠然と。
ようやく、僕なりの答えを発見することが出来ました。
いい歳こいて"自分探しの旅"の方向性がやっと決まったのです。
それは「命を賭して睡眠も呼吸も忘れるぐらい夢中になれることを全力でする」ためです。
好きな事を理解できている人って、人生を楽しむためのチケットを手に入れたみたいなものです
この文章は数日前の記事で僕が書いていたのです。
最初から自分の中にあったのです。
僕がよく記事にして書いている中に自分でも気が付いてなくても答えはたくさんありました。
今回の記事は僕も読み返してみると哲学的な事を語ってて恥ずかしい部分もあります。でも、せっかくブログをやってるのなら僕なりの存在意義を声を大にして発信してみることにしました。
人間も他の生き物と同じなのに
よく僕らは自分の事を蔑んで「社畜」や「歯車」、「ちっぽけな存在」って呼ぶけど、実は遠からずだったりします。
生き物は種の繁栄のために、繁殖を繰り返す。人間も同じで足元にいるアリや空を飛んでいる渡り鳥と基本は変わりません。
そして、人間という生き物は生存のために知識を伸ばして、地球上のピラミッドの頂点に居座っています。
アリ塚みたいにビルを建てる。そして、カーストを設けて働かせる。
イルカみたいに見えない波でコミュニケーションを取る。
ライオンの爪と牙みたいに銃や武器であらゆるものを制圧する。
無駄に脳みその能力が伸びてしまって、人間が他の生き物より優秀になってしまった。
その副産物として考える力があるから個々が「自分の存在意義」について悩むようになったのです。
傲慢にも "この世界での役割" が自分にはあると勘違いをしています。たとえ、自分がいなくても地球は正常に回ることを知っていても。
「自分の存在意義」について考えることをやめることが出来ない。どうしても惹かれてしまうのです。
生きている意味は自分で定めないと決まらない
では、なぜ存在意義を考えるのか。それは自分の存在を証明したいと願うからです。
地球の寿命から考えると人間の寿命の100年は一瞬でしかないのです。ですが、その間に、何らかの爪あとを残したいと奮起します。
歴史に名を刻みたいと願います。
アインシュタインやピカソだって地球目線だと、ナニモノでもありません。ですが、人間の世界では偉人です。
ただ一人の大切な人に一緒にいてもらいたいと願います。
それがたとえ一方通行であったとしても。
要は人間に認められることがしたいのです。
人間といっても誰に認めてもらいたいのでしょうか?
全人類?どうやっても全人類に認められていることを計ることなんて出来ません。
では、国?安倍首相の支持率を見てください。きっとアンチや認めてくれない人もいます。
更に小さな地域やコミュニティーに落とし込んでも目立てば直接、意見して反対してくる人がいます。
段々と範囲が狭くなってきました。
愛する家族や恋人、友達。99%を理解して応援してくれますが、全ての微細な気持ちまでは読むことは出来ません。
ミクロに分解していくとそこには自分ひとりが待っています。
そうです。最後の砦。自分。
自分が肯定してくれないと次はもうありません。努力次第では限りなく真の理解者になりえます。
要は「存在意義」 = 「自己満足」だったのです。
自分が自分を認めなければ一生、自分の存在意義が見つけることが出来ません。
自らに納得して、生涯を終えるとき自分の人生に満足をすることが出来れば、存在意義は達成されます。
満足をするには、 "やりきった" という達成感が必要不可欠なのです。
「存在意義」 = 「自己満足」 = 「やりきった達成感」。
ここでようやく本題の「自分の生きている意味」です。
自分がやりきったと思えるほど、熱中できる事を見つける事でスタートラインに立つことが出来ます。
命を賭して睡眠も呼吸も忘れるぐらい夢中になれることを全力でする
どんなことでもいいのです。
とにかく理屈抜きで惹かれること。導かれるように没頭できるもの。
まさにご飯を食べる食欲、睡眠欲、、それよりも求めてしまう事を考えてみてください。
僕の場合、気が付いたら常に写真の構図について考えています。
目がファインダーになって、自分の見た一瞬を切り撮る事を無意識に考えています。
眠たくても疲れていても、それ以上にシャッターを切ることを求めてしまうのです。
もちろん大切な人を全力で愛する人生でもかまいません。
かの有名な西野カナさんは「会いたくて会いたくて震える」のです。
ずっと震えていると、そのうち細胞の分子が摩擦熱で高温になり蒸発してしまいます。それでも西野さんは震えているのです。
(西野カナさんのファンの皆さん、すみません半分冗談です)
常に心の中にあることを探して知って、全神経を傾けてで行動することが「生きる意味」だったのです。
こぎーのまとめ
冒頭に載せてある「極めろ!好きな事を業にして人生を深く悔いなく生きるためにすべき事」という記事とかぶっている内容もありますが、いつでも答えは自分の中にありました。
自分を細かくシンプルに分解したときに出てきた、理屈なしに欲するものを追求することができれば、「社畜」や「歯車」、「ちっぽけな存在」なんてどうでもよくなってきます。
そんなのゴミ箱に捨ててしまえばいいのです。傲慢でかつ紳士に「自分が世界の中心」になればいいのです。
地球が46億年生きていようが、関係ありません。僕らの人生は100年です。
地球にとって刹那的な光だろうと、自分に納得のいく人生を全うすることに意味があります。
僕も好きなONE OK ROCKの『アンサイズニア』でも「The answer is inside of me」って歌ってます。
そして、この歌ではこんな事も歌っています。
「明日 明後日の自分に 何が起ころうと責任を持てるかどうかさ」
「死ぬ間際に悔いは無いと 言えるように生きてたいだけ」
だから、彼らは支持されるしアンチもたくさんいます。自分に責任を持って納得して、なお進み続ける良いお手本です。
周りに何を言われようが、自分が正しいと思ったら行動してみる。間違っていたら、素直に謝ってやり直せばいいです。
間違った経験が正しい経験のヒントになってくれます。
運命とは「命を運ぶ」です。自分で堂々と運命ぐらい導いてしまえばいいのです。